「私たちの武蔵高萩駅 〜旧駅舎解体の記録〜」 ビデオ(VHS) カラー21分ができました。 武蔵高萩駅の旧駅舎解体記録で日高市教育委員会製作です。 内容はVTRの製作目的と市民インタビューの紹介、川越線開通を報じる新聞記事、駅舎建設の模様、昭和天皇行幸の様子、陸軍旭丘飛行場、旧駅舎内風景、旧陸軍士官学校などの写真、旧駅舎時代のホームの様子、駅舎解体工事の様子、防空壕内部の紹介、貴賓室の内部、現在の新駅舎内の様子など昭和天皇ゆかりの駅を強調しています。(2006年製作。 企画 日高市教育委員、製作 株式会社 文化財工学研究所 毎日映画社。日高市立中央図書館で借り出せます)
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平成15年撮影 駅舎は昭和15年建築時のままほとんど変わっていませんが、駅前はバス停、自転車置き場が整備されています。 |
大字高萩地内 昭和15年5月6日撮影 駅前道路竣工式の時に、南側から関係者の並んだ姿を写したものです。後に見えるのは武蔵高萩駅です。 |
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歴史1 日中戦争の開始により、航空機による戦略爆撃が本格化、航空兵力の増強がはじまる。
歴史2 関東地方に陸軍、海軍の飛行場、航空士官学校の開設が活発になる。
歴史3 教育の軍国化に伴い、全国の小学校に奉安殿が設置される。日高でも昭和10年、17年に設置。 建設費は全額村民の寄付。 奉安殿には天皇の写真、教育勅語謄本が収められた。
歴史4 昭和12年、陸軍省により耕地整理地区の一部を買収、その後拡張により開拓農家80戸が立ち退きを余儀なくされる。 総面積 東西1800m、南北1180m
歴史5 昭和13年、陸軍航空士官学校が入間郡豊岡に開校(修武台と称す)。 この年、満蒙開拓青年義勇軍へ日高から少年5名が出発、盛大な壮行会が行われる。
歴史6 昭和14年4月、豊岡の分校として高萩飛行場完成。昭和天皇が秩父宮、東条英機中将(当時、航空総監)とともに完成記念式典に出席。 軍用機の編隊飛行などを閲兵した。
歴史7 昭和14年、高萩飛行場の完成記念式典に臨むため、昭和天皇は御召し列車により原宿→立川→八王子→高麗川へ至る。高麗川駅で下車後自動車にて目的地に向かった。
歴史8 八高線は太平洋戦争を遂行するため、首都東京を囲む軍用鉄道整備の一環として、八王子-高崎間に布設された。 蒸気機関車、ジーゼル車を経て現在は一部電化。
歴史9 昭和15年7月、武蔵高萩駅が完成 昭和天皇の豊岡陸軍航空士官学校への通過点として重要な役割を担った。 立派な駅舎と貴賓室を備え、専用のホーム、防空壕もあった。
歴史10 その後、三回にわたり昭和天皇は陸軍航空士官学校の卒業式に出席、卒業生を激励した。 B29による空爆を経験。高萩分校は昭和20年4月に閉鎖、練習機多数が満州に送られる。
歴史11 昭和20年8月敗戦。 高萩飛行場は農地、工業用地に転用される。現在の旭丘。
参考資料 日高市史(通史編、近・現代資料)、ひだか平和新聞、横田八郎著ふるさとの記憶、その他。
橋上化計画の概要 日高市広報、日高市公式ホームページ参照
橋上化議論の動向 日刊文化新聞など参照
JR八高線 武蔵高萩駅の魅力 個人のページ
地域史研究 日高と天皇 武蔵高萩駅 個人のページ わがまち再発見(高萩院)
現在の武蔵高萩駅(写真)
明治時代前期2万分の1地図(埼玉県版)の紹介
女影時計台(県道日高川越線沿線)
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