イラク支援(友好)

自衛隊はいま、どう変わろうとしているのか?

半田滋氏  (東京新聞編集委員長) 2007年9月15日 港区立勤労福祉会館での講演メモより、日高に直接関連ありそうな部分を示します。

1、東京の横田基地から毎週水曜日に山口県岩国市にある岩国基地に向けて飛行機が飛び立っている。この飛行機は岩国基地から沖縄の嘉手納(かてな)基地に向かって飛んでいる。機種はC1という国産の輸送機で、積荷の内容は米兵とかアメリカのもの。この輸送についての日本政府の説明は、日本の輸送機を使うことによってアメリカの輸送機をほかの作戦に回すことができるので、間接的にアメリカの支援になっていると言っている。

2、2007年春に横田基地を取材した。横田基地の輸送機は第374輸送航空団で、ここからアフガニスタンやイラクからの支援は1機も行っていないとの返事だった。その理由を聞いたところ、米軍374輸送航空団の範囲はアジア大西洋で、イラクは別の空軍だからとの返事だった。これは日本政府の説明とは矛盾している。第374輸送航空団の仕事は最近ではスマトラ沖の地震での国際援助隊のような活動とか、東チモールに物を運んだとか、まさにアジア周辺でしかやていない。C1輸送機がアメリカ支援をしているといっても、この支援範囲はアジア周辺範囲なので、結局アメリカの手下の作業しかやっていない。これはイラク特措法にもテロ特措法にもつながっていない、単なる対米支援である。

3、これは国連決議の1368に合致しているとはいえない。むしろ海上自衛隊の活動がそれに近い。目的、趣旨の違う活動が同じテロ特措法という法律の中にむりやり押込められている。誰もそれに異論をはさんでいないでやってきた。これは自民党だけの問題ではなく、国会のチェック機能の至らなさであろう。国会の参議院で民主党が数をとり、情報開示を求めるようなことを言っているが、過去12回の基本計画の議論の中で国会でも議論ができたし、テロ特措法が3回延長されたときも情報開示が要求できたはず。

なぜ日高に関係があるかというと、横田からの飛行機が日高の上空を通るからです。民間機の場合もあるし、軍用機の場合もあります。みんさん、飛行機が頭上を飛んでいたら、どこにいくのかなあと思ってください。

(半田滋氏の講演の全部は、「平和運動」10月号(07年)に載っています。)

 

サマワ・日本友好碑にサドル師肖像 陸自へ反発 解放の象徴か

 【サマワ=共同】陸上自衛隊が活動していたイラク南部サマワ中心部に建設され、2年前に爆破された日本との友好記念碑に、イスラム教シーア派反米指導 者、サドル師の肖像の大看板が8日までに掲げられた。大多数の住民が陸自の復興支援に感謝している中、一部になお陸自への反発が根強いことを示した。
 肖像画を掲げたのはサドル師支持者ら。支持者の一人は「われわれはこの記念碑を占領の象徴から解放の象徴にかえた。もし以前のまま残していたら、住民の誰もが日本による占領を忘れることができなかっただろう」と語った。
 記念碑は2004年9月、サマワを南北に貫く国道8号の交差点に設置。石灯籠(どうろう)とイスラム教のシンボルを合わせたデザインだったが、翌10月、何者かが石灯籠の部分だけを爆破、破壊した。

(産経新聞) - 9月9日16時32分更新
 

サマワに孤児院完成 埼玉のLC、橋田基金など協力 “日の丸支援”継続の象徴

 陸上自衛隊が約2年半にわたって人道復興支援活動をしたイラク南部のサマワに、日本の民間団体の支援による孤児院がこのほど完成、現地の奉仕団体に引き 渡された。孤児院はイラク戦争などで親を失った子供に手を差し伸べるほか、陸自撤収後も日本による“途切れぬ支援”の象徴となりそうだ。
 孤児院の建設は、埼玉県のライオンズクラブ国際協会330−C地区(山本徹秀名誉顧問会議長)が中心となり進めた。同協会によると、イラクではイラン・ イラク戦争(1980〜88年)や湾岸戦争(91年)以降、戦乱で親を失った孤児が増加。最近ではイラク戦争やその後の国内でのテロなどで孤児がさらに増 えている。
 同協会では昨年6月以降、街頭募金などを実施、ライオンズクラブ国際基金に資金提供を申し入れた。また、2004年5月にバグダッド南方で、武装集団の 襲撃で死亡したジャーナリスト、橋田信介さんの妻、幸子さんが代表を務める橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会も、計画に賛同し520万円を 提供した。一般の有志からの提供もあり、総額2351万3825円の建設資金が集まった。
 昨年7月には、土地を準備したサマワの奉仕団体「アル・アマル慈善文化基金」との間で孤児院建設について合意。12月に地元建設業者が着工、先月1日完成し、施設を運営する同基金に引き渡された。
 サマワでは7月の陸自撤収後、「日本」が完全に姿を消したとみる地元住民もいる。民間支援による今回の孤児院建設は、サマワの人々に日本の支援継続を印象づけ、陸自撤収で支援が途切れたわけではないことを伝える意義がある−と関係者は指摘する。
 孤児院は1階建てのコンクリート製(約363平方メートル)で、最大240人の孤児を収容できる。施設内には日本政府からの無償援助によるベッドなどが備えられる。現在、261人が入居を希望しているが、電気がまだ通っておらず、施設は運用されていない。
 幸子さんは「建設に参加でき光栄。生きていこうとしている人々のためになればと思っている」と述べ、「次はファルージャに病院をつくりたい」と今後の民間支援の計画を明らかにした。

(産経新聞) - 8月10日8時2分更新