市町村合併  

10/03/18  更新

01/01/05  初校

日高市の合併への動きについては、最近とみに強調される「三位一体」なる文言にかき消されるように見うけられる。2005年の新年の挨拶(関市長、吉川議長)には「合併」のことばは無かった。そのかわり、「市財政の厳しさ」が強調されていた。 具体的な動きはすでに始まっている。高麗の郷の入浴料の値上げ、サービス低下を皮きりに住民負担の増加は目白押しである。国保料(税)の引き上げは高齢者、低所得者を直撃している。 かって為政者は合併を財政再建の切り札として喧伝してきた。しかし現在の住民負担増の内容を見れば「合併」論議はほんの一部の議論であったことが分かる。ましてや合併債のまことしやかなメリットは土建屋をもうけさせるだけであったことがはっきりした。一連の市の事業が借金王への入り口であったことを当時の為政者は肝に命じるべきである。 

 「合併」の議論は「財政再建の議論」になることがはっきりしたことが2004年であった。合併の是非を議論することを通じて町作りを真剣に考えるきっかけを得たことも確かだ。日本全国各地で進められた議論の中でも、たとえば大資本の観光開発で食いつぶされたニセコ町の町作りの取り組みなどは注目に値する。住民が寄付と言うかたちで「金を出す」発想はこれまで無かったのではないか。良く考えると「お上が金を取り住民に配る」という発想が官尊民卑の思想を育ててきた。「納税者」がいつのまにか「受益者」扱いになっている昨今、高負担のまま「官尊民卑」の思想が継続されるのはおかしいのではないか。 

「住民が主人公」になった町作りと「官が主導の」町作りががっぷりと4つに組んで進むことが今年の特徴になるような気がする。

 

平成の大合併 といわれる地方自治体の合併が大きな問題になっている。 現在3,300ぐらいある市町村を1,000ぐらいにしようと時の政府・与党はその促進に余念がない。 一部には300市町村ぐらいにしようという議論もある。合併にあたっては合併協議会を作り、さまざまな課題について検討し、住民にその賛否を問う形で意思決定をしている。 すでに南アルプス市などという新しい市が誕生している。 しかしその一方で、埼玉県朝霞市、和光市、新座市、志木市の合併に関する住民投票の結果、和光市での反対多数で四市合併は振り出しに戻ってしまった例もある。 そのお隣の富士見市、大井町、上福岡市、三芳町の二市二町合併の賛否を問う住民投票が同年10月26日に行われたが、富士見市において賛成が過半数に達せず、合併協議会は解散した。 

 埼玉県日高市では合併促進派、反対派、慎重派がそれぞれ独自の活動を展開している。過去の市町村合併については明治・昭和の大合併がある。日高市近隣では飯能市と名栗村が2005年1月1日に合併することが決まった。 新市名は「飯能市」、名栗村議の任期は新しい市議選までで、名栗村行政機関の新市への転換の具体的方針の骨子はすでに決まっている。県が日高市に示した合併パターンは「日高・飯能・名栗」だが、このパターンを含め日高市が志向する合併のパターンは複数ある。

日高市の動き 

日高市の行政としての動きについては以下のホームページがある。 (日高市 市町村合併についてどのように考えますか?

日高市があげている「合併のメリット・デメリット」については、一般的に言われていることが書かれているだけであり、これだけでは日高ではどうなのか? ということが具体的に見えてこない。 より論理的・数値的に検証したものは別途、庁内報告書がある(2004年2月)ので是非そちらを読むべきであろう。 この報告書を住民側が読む際、行政が目指す「効率化」「財政建て直し」と対置した視点が必要で、そうでなければ過去の政治(市政、県政、国政)の失敗のつけを、現在・未来の住民が負うだけになってしまいます。 今回の合併は「アメ」と「ムチ」の両面を合わせ持つのが特徴で、その「アメ」も実は住民に「つけ」が廻ってくることを忘れてはならないと考えます。 そもそも行政の不平等・平等感もしくは合理的・非合理的運営は政治のあり方(議会)で決まるわけですから、過去の日高市政が誰のために行われていたかを抜きにして合併を議論するわけにはいかないと考えます。 それともう一つは今回の合併が国のレベルで推し進められている特徴からして、国政の失敗のつけが市町村に押し付けられていないか?という視点も必要です。 そういうわけで合併に関する問題は、日高市(地方)の視点と国の視点がぶつかり合っていることを忘れてはならないと考えます。

住民側の動きについては以下のような活動があります。 すこし内容が古いのですが引き続きご紹介します。


「合併を考える日高市民会議」が2月14日に高麗の郷で新潟県加茂市長小池氏講演会開く‐住民本位の市政に好感、しかし‐

小池氏の財政論を紹介する。『現在のような大不況のときには、700兆円の政府の赤字に目を奪われることなく、超拡大財政政策によって景気を一気に回復すべき。 小泉首相の経済理論は200年前のアダム・スミスの経済学−初期資本主義時代の経済理論だ。税収(国の収入)の枠内で支出を考える「入るを図りて出ずるを制す」で1929年世界大恐慌の時世界中で失敗した経済学・財政政策である。ハーバート・フーバー大統領、浜口雄幸首相しかり、世界中が小泉首相と同じ政策をとった。

しかし近代経済学は需給の関係−生産と消費の関係を探求する学問である。アメリカのニューディール政策では政府が大胆な需要喚起を行った。これでアメリカの景気は盛り上がった。 したがって、不景気のときは需要を図る。起債・借金をする。好景気・不景気の波を繰り返しながら発展してゆくのが資本主義である。不景気のときは大きく拡大財政政策をとるべきである。バブル景気を悪く言う人がいるが、あんな素晴らしいことはない。岩戸景気、神武景気が良くてバブル景気が悪いというのはおかしい。日本銀行は紙幣の発行権限を持っている。700兆円の国債を引き受ければ、国の借金は棒引きにできる。』

加茂市長小池氏の持論「超拡大財政政策」に異議あり 

「日銀引き受けの国債発行」は次のような問題がある。
1 700兆円の赤字は政府の赤字で、日本の国家全体では赤字ではない。
誰かの債務(負債)は誰かの債権(資産)だから、政府の債務は他の経済主体の債権になっている。政府の債務は最終的には税収で返済するしかない。税金を支払うのは国民ですから、この論法は間違っている。

2 700兆円の赤字は日銀に引き受けさせればよい。
政府の債務(この中には地方政府の債務を含んでいます)を日銀に引き受けさせても、債務はなくならない。 国債を日銀が引き受けても、国債を償還しなければ債務はなくならないからです。国の債務を日銀が「肩代わりする」ことは理屈としてありえますが、日銀は肩代わりした債務をどのようにして返済するのでしょうか。返済できなければ中央銀行は破綻しますので、通貨の信用はゼロになります。こんな馬鹿なことを実行した政府は歴史上ひとつもありません。法律を見ると日本銀行における国債の引受けは、財政法第5条によって原則として禁止されています(これを「国債の市中消化の原則」と言います)。 これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためです。 ただし、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、「財政法」(第5条ただし書き)の規定に基づいて、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借換えに応じています。



3 債務の肩代わりは債務の棒引きではない
その簡単な理屈を無視して、肩代わりすれば債務がなくなるかのような論法を展開するのは信じがたい詭弁です。なお、通貨の発行額について日銀はホームページで次のように説明しています。

お札(銀行券)の発行額(注)は、世の中でどれだけお札に対する需要があるかによって決まります。例えば、一般的に、経済取引が活発化し、資金決済需要が増えれば発行額は増えますし、反対に、経済取引が落ち着き、資金決済需要が減れば、発行額は少なくなると言われています。
 (注) お札は、個人や企業への支払に必要な分を用意するため、金融機関が日本銀行当座預金から引き出して、日本銀行の窓口から受け取ることによって世の中に送り出されます。これを「銀行券の発行」と言います。

 旧日本銀行法では、銀行券発行高に見合う優良資産を日本銀行が保有することを義務付けた「発行保証制度」と、銀行券の発行高の上限をコントロールすることを目的とした「最高発行額制限制度」が設けられていましたが、これらは平成 91997)年に成立した新日本銀行法の下で廃止されました。これは、管理通貨制度の下では、銀行券の価値の安定は日本銀行の保有する資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべきものであること、また、銀行券の発行高は経済取引の繁閑に伴って増減するものであり、最高発行額も銀行券の現実の発行高に追随して変更されてきた経緯を踏まえれば、最高発行額制限制度の意義は希薄になっていること、等の考え方によるものです。
政府が進めている地方自治体の合併は財政経費の削減が目的です。地方自治体の合併で効率化を進め、住民へのサービス切り捨てを狙っています。この点は社会保障の切り下げと同じ狙いだと思います。 
 
(以上は、講演会を聞いたK氏のメモを基にまとめた)     新潟県加茂市のホームページ


市町村合併と自治体財政 中央大学教授 関野満夫氏、 発行 合併を考える日高市民会議 頒価 500円

「合併を考える日高市民会議」はパンフレット「市町村合併と自治体財政」(64ページ)を発行した。 このパンフレットは中央大学教授の関野満夫氏がこの団体が主催した講演会での講演録である。 講演の内容は日高市の区長会で話されたものと同じとのことだが、パンフにはそのほかに講演後の質疑応答、合併をめぐる動向、アンケート用紙、およびこの団体の発行した印刷物などが収録してある。詳しくは講演録を読んでいただくとして、ここでは講演部分を簡単に紹介してみたい。

明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併 それぞれの特徴とその違い・・・地名変更は常に伴ったが、財政・組織の変革を常に伴う。 それが住民にとって幸せな結果を生んだのかが大事。 講師は財政学および地方財政論の専門家であるので、特に日高市の財政について詳しく検討されている。 以下は講演で大事な部分と思われるところを要約しました。

明治・昭和の大合併とは違う。 国家財政の切りつめが出発点。

2001年度の日高市の歳入合計は167億円。

財政健全度でみると日高市は70点で埼玉県内で9番目。 

同様の指標で見ると埼玉県内のトップは和光市(86点) 

財政の面から見れば日高市は合併の必要性は無いようだ。 

赤字の増える仕組み=自治体の借金で大型施設を作るパターンが踏襲されている。 

地方自治体による国の事業の肩代わり。 これが地方分権のねらい。 住民に密着した部分が圧迫されサービス低下。

合併すれば合併特例債が借りられます=政府・与党。 しかしそれは大型公共事業にまわるだけ。麻薬のようなものであとが怖い。

将来は国からくる地方交付税が削られる。 結局、効率化を押し付けられるだけ。

合併特例債で大型事業を実施したので、将来住民には重いつけが回ってくる。

自治体の自立=国の責任がないがしろにされるおそれ。 合併で議員の数が減り、民主主義が保たれるか?

財政的に効率化が図れるのか?

関野満夫氏のプロフィール(大学のページへ

学習のポイント 財政健全度とはなにか? 先生の示した資料は武蔵野銀行地域経済研究所が出したもので、財政活力度(6つの指標の合計で44点=日高)財政耐久度(四つの指標の合計で26点=日高)の総合点(70点=日高)です。財政健全度の表わし方には先生の示した資料のほかにもあり、たとえば公債費負担率、市民1人当たりの地方債残高、交付税依存率など20項目の指標をもとに算出した順位もあり、この数値が大きいほど悪い、とする考え方もあります。 日高市H16年度財政比較分析表


市町村合併を考えるためのリンク集、 
埼玉県の市町村合併 地方分権支援課
飯能市・名栗村の合併について 合併協議会の公式ページ、 
飯能市自治会連合会アンケート結果
近隣市議の考え1 飯能市議会議員KY氏のHP
近隣市議の考え2 小鹿野町議員TS氏のHP

更新 2003年10月19日/2004年3月7日/2004年8月23日 /2010年3月18日誤字訂正